INOAC
- 【'93-'94/INOAC】
- ■フレーム /GT・RTS1
- ■フォーク /SHOWAbyRSタイチ
- ■タイヤ /IRCダートブロス&Vクロー
- ■ブレーキ/シマノXTR
- ■クランク /シマノXTR175mm
- ■ディレーラー /シマノXTショートゲージ
- ■ハンドルバー /アンサー・ハイパーライト
- ■ヘルメット /BELL
- 【"YETI"に個人的にアプローチ?!】
- 92年、実は、アメリカに遠征した際に、MTBレース界の登竜門的チームの"YETI"に、個人的にアプローチしていました。
YETI創始者である、ジョン・パーカー氏にレース会場やバイクショーで、ダイレクトにアプローチしてました。
そんなとき、日本のタイヤメーカーのIRCとYETIは、商品開発や販売の分野で、いろいろなビジネスを行なっていました。
結果的には、チームYETIに入るチャンスはなかったのですが、アメリカで、IRCのトップとの出会いがあり、93年は、チームイノアックとして、走ることになりました。
【 レンタカーが借りれない"ワケ" 】
- 93~94年は、フルサスバイクが出だしたころで、バイクは、自らGT・RTSを選んで、レースに臨みました。この年、初めてヨーロッパにも渡り、フランスでの世界選手権に参戦しました。
大学の夏休み期間は、アメリカ・コロラド州へ単身で渡り、全米選手権、コロラドシリーズを回りました。このとき、20歳だったのですが、年齢制限のせいで、現地でレンタカーを借りるができませんでした。とりあえず、最初の会場まで輪行バックを担いで、行き1週間を過ごしました。
その時にアンサーのサポートのメンバーと仲良くなり、結局、彼らのトランスポーターで、約1ヶ月の旅をすることに!
コロラドシリーズでは、ダウンヒルは、ほとんど行なわれていなくて、クロカンメインでの参戦でした。もちろん、クロカンにもフルサスのRTSで走りました。帰国直後、ジャパンシリーズのクロカン・エキスパートクラスで4位に入りました。
93年は、ダウンヒル、クロカン、スラローム、すべての競技をGT・RTS1の1台で、走り抜きました。